木彫の熊
K場さんに言われて気がついた。そうだ!今日は父の命日だった😓
あれからもう17年も経ったのか ━ と思うと、とても不思議な気がする。まだ数年前のようにしか感じられない。
今夜は父の好物だったお刺身に日本酒だな😋と思いながら、「あっ!」と別なことに思い至った。そうだ今月の中頃に弟たちが実家に来るのだった。どうしよう・・・💦
13年前に母も亡くなってから、実家の管理は私がしている。「少しずつ片付けるね!」と約束はしたものの、なかなか思うようにいかない。面倒なのではない。捨てられないのだ。「少しずつね」が「徐々にね...」になり、「そのうちね...」になっている。そろそろ引導が渡されそうな気配がする。
父の寝室には、裏にネームが刺繍された銀鼠色のコートがかけたまま。デスクの上には阪神タイガースの丸い缶と、やはりタイガースのうちわが生前のままに置いてあり、引き出しの中もほとんどそのままだ。
もちろん何度も引き出しを開け、乾いてしまったスタンプや書けなくなっているサインペンなどは捨てている。干からびかかった皮の小物も捨てた。スムーズに開け閉めできるくらいまでにはなったが、まだまだだとは思う。
昨年暮れに納戸の海水浴グッズにトライはしてみた。水泳着は捨てた。ゴムのサンダルも捨てた。でもでっかいシャチ君(子供か乗れる程のビニールの浮き遊具)と6つもある大きなつばのついた麦わら帽子や名前と電話番号入りの浮き輪たちは、手に取っていろいろ思い出しながらニヤニヤしてまたしまってしまった。
いいかっこしいの父は、孫たちの前でシャチ君を膨らまそうと足ポンプを頑張り過ぎて、海水浴場で貧血をおこし大騒ぎになった。帰りの車では、シャチ君をなんとか後部座席に納まるくらいまで空気を抜き、その夏中シャチ君は和室でくったりとしていた。
親の家に残された生活の細々とした品物は、その後私の重荷には決してなっていない。それらを手にするのは楽しみですらある。最近は、子供たちのためにと急ぐように断捨離なるものをする方々がいらっしゃるが、私にはよくわからない。
ただ、前回弟に会った時に「あのさ、熊の置物なんだけど、鮭をくわえてるやつね、あれはいらないんじゃないかなぁ。」と言われて、私も「そうだね、処分するね。」と約束してしまっていた。確かに今どきはない。でも、父が自慢気に言っていたのだ。
「一番大きくて顔が可愛いのを買ってきたんだ!はっはっはっ😄」と...
確かにちょっと可愛いような気がしてまだ処分できていない...😥
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