唐獅子牡丹

 もうすぐ父の十七回忌だ。不思議なことに、年々良い思い出しか思い出せない。猪突猛進を絵に描いたような人で、お酒が過ぎると手をつけられなくなることもしばしばだったが、普段は家族想いの人だった‥と思う。

 私が母に叱られて、自室に鍵をかけて閉じこもりワンワン泣いていると、外から窓を叩く音がする。ここは二階… 「へっ?」とカーテンを開けると、父がきなこ餅(私の好物)を持って、隣家の屋根の上に座ってニコニコしている。隣家に申し訳ないと、窓を開けて「どうやって?」と聞くと、裏の神社の境内の桜の木をつたって隣家の屋根を歩いてきたと言う。きなこ餅の皿だけを腕を伸ばして差し出して「鍵は良くない、鍵は良くないよ😞」と言って、また屋根を歩いて戻っていった。しばらくすると、一階から母の激怒する声が聞こえてきたから、あっさりバレたらしい💧

 夜のテレビで映画を観る時は いつも誘われた。マックイーンやチャールズ・ブロンソン、ジュリアーノ・ジェンマがお気に入りで、学校の試験前の晩でも西部劇に付き合わされた。「勉強なんぞいつでもできる❗」が口癖で、私や弟の成績には全く興味を示さなかった。

 ものすごい音痴で、カラオケが流行り始めた頃はとても辛かったらしい。ある日「二曲だけ歌えるように教えてくれ。」と頼まれ、当時流行っていた北島三郎の「与作」と高倉健の「唐獅子牡丹」を二人で一生懸命練習した。買い物帰りの母が近所の何人かに「本当に仲が良いわねぇ」「二人で一生懸命だねぇ」と笑われて、何だ何だと家のそばまで来たら、我が家の二階から調子外れの「ヘイヘイホー」やら「唐獅子ぼぉ〜たぁ〜んー」やらの二重唱が聞こえてくる。「またあのバカ親子がぁ💢」とドドドーっと階段を駆け上がり、バタンバタンと家中の窓を閉めてから、「もう少し小さい声で、窓を閉めて、奥の部屋で練習して‼」と息を切らして怒っていたのが懐かしい。

karajisibotan3.jpg
 結局父は亡くなるまで音痴で、「与作」は歌いきれなかったが「唐獅子牡丹」はなんとか聴けるようになった。K場さんに叱られた時など、私も「ぎ〜り〜とにんじょう〜、はかり〜にかけりゃ〜」と口ずさんでいる。


ホームページはこちら→Spotlight gallery