夏の宵

 コロナ禍ではありますが、私は仕事帰りに駅を出てから家までの道のりをマスクを外して歩いております。夏の宵のにおいが大好きなのです。まだほんのりと明るさが残る中、息をいっぱいに吸い込むと、土と緑と生活のにおいにむぅ~っと包まれて、肩から力が抜けていくのです。
image0.jpegIMG_1465.jpg
  誰かが「五感の中で一番記憶に残るのは嗅覚だ。」とおっしゃっているのをテレビで見たような気がするのですが… 確かに、どこからともなく漂うゆうげの香りで一気に思い出がよみがえったりするのです。
ビールジョッキを片手に七輪の前で笑顔の父親や、ガラスの器に切りたてのスイカを持つ母親の顔。当時は普通にあった台所のジャラジャラする 木かビーズの粒々の連なった暖簾をかき分けて、赤いキャップのアジシオ片手に、スイカ目指して駆け出してくる幼い弟の顔なんかも思い出して、一人で含み笑いしながら帰るのですよ。
熱い空気のこもる薄闇はノスタルジックでとても心地よいのです

 昨日は、N田さんちからいただいたきゅうりとミニトマトを持ってふらふらと歩いていると、「お母さんにかわって!」と言う携帯電話片手の男性の声。そう言えば昔、実家の私の部屋の真下に赤い公衆電話があったっけなぁ~とタイムスリップ❗

ダウンロード (1).jpg
  狭い国道沿いの決して静かではないし、落ち着いて話のできる場所ではないところにある公衆電話。それでも夕暮れ時にはいつも人の気配がありました。近所にはいくつか大きな造船所があって、季節労働者の方も多くいらっしゃった。
エアコンなどない頃だったから、開いた窓から声が聞こえてくることも… 東北ではない言葉や話し方。でも、「お母さんの言うことをよく聞いて待っててな。」「お土産持ってくからな。」「母さんにかわってくれるか?」というような会話のくだりはよく聞こえてきたように思う。当時は「良いお父さんだなぁ。お土産良いなぁ~」くらいに思っていたけれど… 今思うと、彼らは自分自身を鼓舞するために あの場所にいたのだなぁと思い当たる。

 遠く離れた幼い子供が寝入ってしまう前に、家族の声を聴き 存在を耳元に感じて、明日も彼らのために頑張れるようにチャリンチャリンと落ちる小銭の音にせかされながら、あの赤い電話の前に立っていたのだろうなぁー。

”みんな幸せなおじいちゃんになってくれてると良いなぁ”なんて思いながら帰るのですよ。

ホームページはこちら→Spotlight gallery

この記事へのトラックバック